ホーム ブログ ページ 913

中津川議員、「交流協会と台北駐日経済文化代表処の名称に関する質問主意書」を衆議院議長に提出

0

 

中津川博郷議員(11月1日撮影)

衆議院議員中津川博郷氏が10月29日、横路孝弘衆議院議長に対し、「交流協会台北駐日経済文化代表処の名称に関する質問主意書」を提出していたことがわかった。

内容(抜粋)は以下の通り。

1.交流協会という名称では、どこと交流する法人なのか不明である。池田氏(元交流協会台北事務所代表)がすでに「日本交流協会台北事務所」という名称を用いてはいるものの、それでも日本と台湾の関係であることが不明瞭なので、関係が分かるように「日台交流協会」と改めるべきと考える。政府の見解を示されたい。

2.台北駐日経済文化代表処の名称変更について、当時なぜこの名称(駐日台湾代表処)を拒否したのか、その理由を示されたい。

3.台北駐日経済文化代表処の名称も、すでに「台湾」という名称が在留カードや外国人住民基本台帳で定着しているのであるから、「駐日台湾代表処」の方が分かりやすいと考えられる。台北駐日文化代表処から同様の申し入れがあった場合、政府はどう対応するのか、見解を示されたい。

委員会等の質疑では、無所属や少数会派所属議員は十分な質疑時間が確保できない場合があるが、質問主意書は一定の制約はあるが国政一般についての質問が認められ、議員数の制約もないことが最大の特徴。議長に提出され承認を受けた質問主意書は内閣に送られ、内閣は7日以内に文書(答弁書)によって答弁する。期間内に答弁できない場合はその理由と答弁できる期限を通知する、ことになっている。

中津川議員は、質問主意書のなかで、昭和47年12月8日に設立された財団法人交流協会の、名称に絡む議論などの経緯に触れながら、現在は「ビザ免除」「運転免許証の相互承認」「外国人登録証明書の廃止と在留カードの交付」(国籍・地域欄での台湾表記)といった、環境変化が起きており、こうした状況下での現状の名称のあり方について、問題提起した形だ。

「『交流協会』ってなんなんだろうと。普通は交流といえば、誰と誰が交流するのということになる。今回、質問主意書を提出したのは、今までは与党の立場で出すのは難しかったということです。今は無所属になり、初めての臨時国会でしょう?その質問第1号になった。果たして政府の答弁はどうかと思いますが、出した意味は大きいと思います」(中津川博郷衆議院議員)

この質問主意書提出が日本人や台湾人社会の間でどのように受けとめられるか?すでに「良かった」との声が寄せられているという。

今後の動向を注視したい。

池袋台湾協会で講演「時代精神を反映した台湾伝統音楽と文化発展」開催

0
池袋台湾教会
開会挨拶

日本台湾語言文化協会が、11月3日、池袋台湾教会で国立台北芸術大学顔緑芬音楽科及び音楽学研究所教授を招いて「時代精神を反映した台湾伝統音楽と文化発展」と題する講演会を開催した。言語は台湾語だった。

顔緑芬教授は、ドイツベルリン自由大学博士卒業、研究領域は二十世紀音楽、民族音楽、台湾当代音楽発展史、台湾オペラ「歌仔戲」音楽など。共著に『台湾音楽百科辞書』『主編台湾当代作家』『音楽鑑賞』ほかがある。

顔緑芬教授

開始時間の午後2時30分頃には教会会場(約50席)はほぼ満席となった。冒頭、主催団体である日本台湾語言文化協会の張瑞銘会長が挨拶。引き続き、同会の創会会長、許極燉顧問が講演の趣旨などを約15分にわたって話した。

午後3時少し前から顔緑芬教授の話が静かに始まった。2台のプロジェクターから教会の内壁2カ所にパワーポイントの映像が映しだされ、文字に交じって時折、日本人がかつて聞いたことがあるような懐かしい流行歌が流れ、その度に参加者が一緒に口ずさんだりした。和やか、かつ真剣味ある講演会となった。

講演は大きく2部構成となっており、1部は1930年~1960年代の民謡や流行歌などの紹介が中心、2部は戒厳令以降の流行歌の動向が中心だった。1部48P、2部41Pに及ぶ資料をもとに顔緑芬教授はときに身振り手振りで熱弁を振るった。

講演の狙いは、台湾の日本統治時代から現在に至る歴史・時代を反映した様々な歌を考察するというものだ。

日本統治時代(1895年~1945年)、南京国民政府時代(1945年~1949年)、台湾国民政府時代(1949年~1996年)、民主化後(1996年~現在)といった時代に加えて、1947年2月28日の民衆蜂起事件(戒厳令~1987年まで)、1979年の美麗島事件(台湾高雄市で行われた雑誌『美麗島』主催のデモが警官と衝突し、主催者らが投獄された)、1996年の台湾初の総統民選実現(李登輝氏が総統に)、2000年、政権交代(民進党の陳水扁氏が総統に)と、節目となった出来事からどのような流行歌が生まれたかが丁寧に解説された。

例えば、日本統治時代では、台湾語民謡「六月芙莉」の紹介時に会場で合唱が起こった。また、鄧雨賢(1906年~44年)は、台湾出身で東京の歌謡学校で音楽を勉強し、帰台して台湾コロンビアの専属作曲家になった人物。「望春風」が紹介されるとまた合唱が起きた。さらに、台湾コロンビアから流行歌第1号としてレコードが発売され、上海映画の台湾での主題歌として大ヒットした「桃花泣血記」なども参加者はよく知っているようだった。

講演は午後5時30分に終了。そこで顔緑芬教授に2つの質問をしてみた。1つは、「今日、参加者にいちばん伝えたかったこと」そして「終えた後の感想」。

「1部は、流行歌について知ってもらうこと、2部は戒厳令の時代には歌が禁止されてなかなかいい歌が出なかったこと、それが解除後にどんどん出てきたこと、そういったことを伝えたかった。講演を終えた後ですが皆さん、大変、熱心で感心しました。皆、よく歌を知っていますし、休憩時間は、皆さん集ってずっと話をされていましたね」(顔緑芬教授)

謝謝分享!再曾!

亞東関係協会・廖了以会長 大阪中華総会主催の歓迎懇親会に出席

0

 

廖了以会長を囲んで
廖了以会長を囲んで

 来日していた亞東関係協会(台湾の対日窓口機関)の廖了以会長は10月25日、リーガロイヤルホテル大阪で開催された大阪中華総会主催の歓迎懇親会に出席した。

 歓迎会には廖会長ほか、亞東関係協会の王慶亮科長、呂秘書、台北駐大阪経済文化弁事処の黄諸侯処長、謝文發副処長、洪英傑組長、神戸華僑総会の陸超会長も出席。また、主催の大阪中華総会の理監事などを含め32人が参会した。

大阪中華総会・洪勝信会長
大阪中華総会・洪勝信会長

 大阪中華総会の洪勝信会長は歓迎の挨拶を述べた際、廖会長の略歴や、豊原市長、台中県長、内政部長、総統府秘書長などを歴任された事なども紹介。また、10月に行われた双十国慶節の祝賀団帰国の際に、大変お世話になった。とお礼を述べた。
台北駐大阪経済文化弁事処の黄諸侯処長
台北駐大阪経済文化弁事処の黄諸侯処長

 黄処長も挨拶の中で、「廖会長は政界の大物の中の超大物だけでなく、母親も祖母も日本人で、家系からもわかるように本当の日本通の方である」と語り、廖会長の指導のもとで日台関係は必ず良くなると期待を述べた。
記念品贈呈
記念品贈呈

 廖会長は「大阪には実の姉も住んでいます。我が家に帰ってきたような、温かい出迎えをしていただいたことに、とても親近感を覚えるところであり、大阪中華総会は伝統ある、且つ組織力のある僑会だけでなく、日頃から日台間のあらゆる民間交流のため尽力していることに対して感謝と称賛の意を示した。
乾杯の音頭をとる神戸華僑総会の陸超会長
乾杯の音頭をとる神戸華僑総会の陸超会長

大阪中華総会・郭重信副会
大阪中華総会・郭重信副会

 懇親会は神戸華僑総会の陸会長の乾杯のご発声で始まり、約2時間、和気あいあいとした雰囲気の中で出席者たちは話に花を咲かせていた。最後は大阪中華総会の郭重信副会長が閉会の辞を述べ、会は締めくくられた。
 
(写真提供:大阪中華総会)
 
 

リュウ・シャオチャ指揮「フィルハーモニア台湾」が記者会見&シンポジウム

0

 

シンポジウムの様子

フィルハーモニア台湾(音楽監督:リュウ・シャオチャ)が11月1日、ホテルオークラ東京で来日記者会見&シンポジウムを開いた。主催は台北駐日経済文化代表処。なお、同楽団は11月9日、東京オペラシティコンサートホールで1日だけの日本公演を行う予定。

12時(正午)開場、12時30分より、リュウ・シャオチャ、ホアン・ピードゥアンさん(中正国立文化中心・芸術監督)、ジョイス・チュウさん(フィルハーモニア台湾・事務局長)がコンサートに関する記者会見を行った。

リュウ・シャオチャ氏
ホアン・ピードゥアンさん
ジョイス・チュウさん

フィルハーモニア台湾は、台湾内では「国家交響楽団National Symphony Orchestra Taiwan(略称=NSO」、海外では「フィルハーモニア台湾」という名称を用いてきたが、今年から海外演奏は「台湾フィルハーモニック」に改称した。ただ、今回の東京公演は便宜上、旧称(フィルハーモニア台湾)を用いている。

今回の公演について3人は「素晴らしい機会だ。とても嬉しい。東京はほかとは異なり、世界のなかでもっとも重要な地だと認識しているし、特別に意義ある公演だと考えている」また「フィルハーモニア台湾は、96人の楽団。女性が54人、男性が42人と女性が多く、外国人演奏家も6人しかいないユニークな楽団。誇りに思っている」と述べた。

12時50分からのシンポジウムでは、司会を音楽評論家の吉村渓氏が務めた。登壇者として、大野順二氏(公益財団法人東京交響楽団専務理事・楽団長)と梶本眞秀氏(KAJIMOTO代表取締役社長)が加わった。主な発言は以下の通り。

「(音楽監督としてアグレッシブなプログラミングについて)鍵は人気のないものを人気がないものとして扱わないということ。ほかのものと組み合わせる(ことで魅力を引き出す)。例えば、モーツアルトとシューベルトを組み合わせる。音楽的には同じラインの延長にある。あるいはワーグナーとブラームスを組むとか、同じ作曲家でも人気ある曲と人気のない曲を組み合わせる。前半と後半にコントラストのあるものを選ぶ。要は自分が信じているいい音楽を演奏するということだ」(リュウ・シャオチャ)

「台湾はこの25年間で楽団の数が10から42に増えた。民主的な社会が実現し、経済も成長し、文化促進、環境改善により台湾の文化を世界に発信していく時代がきた。ぜひ台湾の音楽に触れていただきたい」(ホアン・ピードゥアンさん)

「フィルハーモニア台湾は公益法人として、かつては70%~80%(運営費)の支援があったが、今年から60%に下がった。来年はもっと下がるかも知れ ない。こうした外的要因から(自分たちを)守るために闘っていかなくてはいけない(こういうことが今日の楽団の躍進の背景にある)」(ジョイス・チュウさ ん)

「今回のフィルハーモニア台湾のコンサートがすぐにビジネスにつながるかどうかはわからないが、好奇心をもって聴きにきて欲しい。僕には台湾のオーケストラが日本で演奏会をやることについて、可能性や夢があると思う」(梶本眞秀氏)

「フィルハーモニア台湾が政府から60%の援助を受けているというのは大変うらやましい話」(大野順二氏)

このほか、シンポジウムのなかで、フィルハーモニア台湾が観客を増やしたり、若い世代にアピールしたり、高齢者のファン獲得のために様々な営業努力をしている姿が浮き彫りとなった。

本公演の成功と日本での定期公演を望む声は少なくないようだ。

ハローキティジェットが来年、欧米路線に就航

0

 

ハローキティジェット・マジックスター
ハローキティジェット・マジックスター

 エバー航空は10月31日、ハローキティジェットが来年、欧米路線に就航すると発表。キティ機がアジアだけでなく欧米へも飛ぶことになる。
 
 エバー航空とサンリオが提携しデザインされた「ハローキティジェット」は、2005年10月に福岡—台北路線で初就航し、同年11月には成田ー台北路線にも就航。また、2011年10月には2代目シリーズがデビューし、現在5機が、日本・韓国・中国大陸・香港などのアジア地区で運航している。この5機は異なるデザインで、それぞれ、マジックスター(羽田—台北・上海—台北)、アップル(福岡—台北・ソウル—台北)、アラウンドザワールド(羽田—台北・上海—台北)、ハッピーミュージック(札幌—台北・グアム—台北)、スピードパフ(羽田—台北・香港—台北)との愛称で呼ばれ、いずれもエアバスA330型が使用されているが、来年就航する6機目はボーイング777型機が使用される。同社では現在この6機目の愛称を考えているところだという。
 
 「ハローキティ」は欧米でも人気が高く、ハローキティジェット就航による欧米路線での集客力強化が狙いと見られる。
 
▽Hello Kitty Jet Travels with You!
http://evakitty.evaair.com/jp/