「赤城de臺灣夜市—臺灣祭」熱鬧登場 促進臺日文化交流

   「赤城de臺灣夜市—臺灣祭」於2025年7月5日至6日在群馬縣道之驛「前橋赤城」盛大舉行,由株式會社ロードステション前橋上武、群馬縣政府、前橋市政府及群馬臺灣總會共同主辦,吸引超過千名民眾踴躍參與,展現臺日民間文化交流的深厚基礎。

活動現場氣氛熱烈且充滿臺灣特色
活動現場氣氛熱烈且充滿臺灣特色

   活動於7月5日上午舉行隆重開幕式,駐日代表處副代表周學佑、日本臺灣交流協會臺北事務所前代表泉裕泰、群馬縣副知事大塚康裕、前橋市市長小川晶、群馬臺灣總會事務局長頌彥守真及ロードステション前橋上武代表取締役町田豐等多位貴賓出席並致詞。

   周學佑副代表致詞表示,臺日長期以來在文化、經濟及民間交流方面互動密切,期盼透過此次活動,進一步加深兩國人民對彼此文化的認識與欣賞。

周學佑副代表致詞
周學佑副代表致詞

   本次活動以「赤城de臺灣夜市」為主題,現場設有傳統夜市遊戲攤位與多個臺灣美食區,吸引大批遊客駐足,成為活動一大亮點。同時設有臺灣茶文化體驗區,讓民眾親自體驗泡茶與品茗樂趣,深受歡迎。

傳統夜市遊戲攤位吸引大量參與者
傳統夜市遊戲攤位吸引大量參與者

   活動中也展出來自臺灣的新鮮芒果等優質農產品,吸引許多遊客品嚐及選購,展現臺灣農業的獨特魅力。文化表演方面,活動特別安排臺灣傳統歌仔戲與布袋戲演出,表演者與觀眾互動熱絡,讓日本民眾近距離感受臺灣傳統戲曲藝術之美。

與觀衆互動
臺灣傳統歌仔戲與觀衆互動
臺灣傳統布袋戲與觀衆互動
臺灣傳統布袋戲與觀衆互動

   此外,大會亦邀請日本臺灣交流協會臺北事務所前代表泉裕泰發表專題演講,以「臺灣與日本」為題,分享其多年外交經驗與兩國合作歷程。演講獲得熱烈迴響,激發更多臺日文化交流的期待。

大合照
大合照

   主辦單位表示,「赤城de臺灣夜市—臺灣祭」不僅成功展現臺灣文化多樣性,也為日本地方政府與臺灣民間的交流合作樹立典範,未來將持續推動類似活動,深化臺日民間友好關係。

大阪萬博台灣不缺席!日本世華各團體參與大阪國際遊行, 台日國旗迎風飄揚, 展現台灣魅力

   【大阪採訪報導】世界華人工商婦女企管協會日本關西分會(會長林伊曼)榮幸受邀參與「2025年大阪萬國博覽會 無國界嘉年會遊行」,在台日國旗迎風飄揚下,熱情走上國際舞台,為台灣發聲,展現台灣婦女的自信、優雅與行動力。

参加者合照留影
参加者合照留影
参與者合照
参與者合照
参加者合影
参加者合影

   参加這次活動的有世華關東分會副會長帯21名、欣華會10名團隊、日本台灣商會聯合総會洪益芬総會長、青年會林怡君會長、關西青年部、關西議員們也都共襄盛舉。

關西議員也参加此次活動
關西議員也参加此次活動
参與者合影
参與者合影

   此次國際盛會象徵和平、友誼與多元文化交流,來自日本各地的百餘僑界團體代表、日本親台日本國會議員及友人齊聚一堂有百多位,世華日本關西分會以整齊隊伍參與,成員身穿專為活動設計的T恤與帽子,精神飽滿、氣勢十足,彰顯台灣女性的團結與風采。

右:旅日知名畫家李鴻儒老師
旅日知名畫家李鴻儒老師 (右)

   現場特別邀請旅日知名畫家李鴻儒老師即席揮毫,以藝術語言傳遞台灣文化的細膩與深度,讓台日文化交流更加耀眼動人。

日總洪益芬総会長 (右) 與日總青商林怡君會長 (左)
日總青商林怡君會長 (左) 與日總洪益芬総会長 (右)

   日總洪益芬総會長表示。能參加這一次的遊行,又能在這裡展現我們挺台灣,這對我們來講是一個很大的意義。

黄碧霞副會長
黄碧霞副會長

   關東分會黃碧霞副會長說到、感謝關西分會邀請、讓我們關東分會也能一起参加這次活動、我們這次來了20位會員参加、大家穿一樣的衣服、一起唱Term Taiwan的歌、真的很感動。

林伊曼會長
林伊曼會長

   世華日本關西分會林伊曼會長表示,透過這次活動,不僅讓世界在大阪看見台灣,更彰顯台灣女性在國際舞台上的積極能量。未來也將持續促進台日友好交流,讓台灣的聲音更加堅定、有力地傳遞全球。

   這次活動充分的展現世華各地的團結力量、創造出台日交流的另一個領域、也譲各地看到台灣、看到世華。

2025.07.08

日本北陸台灣商工会參加富山縣高岡市「戸出七夕祭」 推廣台灣美食獲地方熱烈迴響

   【富山採訪報導】日本北陸台灣商工会(會長:島田恵)於2025年7月4日至7日參與富山縣高岡市「戸出七夕祭」,設立三間台灣美食攤位,成功推廣台灣美食文化,受到當地民眾廣泛好評與讚賞。

富山縣高岡市 - 戸出七夕祭
富山縣高岡市 – 戸出七夕祭

   「戸出七夕祭」為高岡市年度重要傳統活動之一,但近年來夜市攤位數量逐年減少。為協助提升祭典熱鬧氣氛,北陸台灣商工会積極參與,今年組織六位會員共同成立「台灣屋台」,推出超過20種各具特色的台灣美食,包括珍珠奶茶、鹽酥雞、魯肉飯等經典小吃,讓前來祭典的民眾有更多元豐富的美食選擇。

台灣屋台合照留影
台灣屋台合照留影

   四天活動期間,會員們頂著高溫從早上10時至晚間10時全力投入,不僅展現出高度團結合作精神,也在過程中深刻感受到地方居民對台灣文化的熱情支持。

台灣屋台合照
島田恵會長 (右一) 與北陸台灣商會會員合照

   值得一提的是,此次活動更獲得當地有志人士無償提供場地及停車空間,讓台灣攤位得以順利設立,為活動增添光彩。會長島田恵表示:「我們非常感動地方人士對台灣的喜愛與支持,這份情誼讓我們更加堅定未來持續推動台灣與地方社區交流的決心。」

台灣屋台合影
台灣屋台合影

   北陸台灣商工会今後將持續透過參與各地活動,加強與地方的連結,推廣台灣文化,並以實際行動回饋社區,深化台日友好關係。

2025.07.08

台灣客家料理南部甩肉丸體驗

   【神戶 / 綜合報導】6月21日夏至 中華民國留日神戶華僑總會於百年建築物的北野會館中召開2025年的會員大會暨親睦會,由高四代會長主持,駐大阪辦事處 劉拓副處長偕同僑務課秘書黃麗婷應邀出席,會員家族共計70餘人共同參與。會員大會後還特別邀請日本客家關西崇正會副會長,同時也是神戶華僑總會的新任理事李安琪擔任下午場次的台灣南部客家傳統美食的料理講師

神戶華僑總會的李安琪新任理事
李安琪講師向參加學員說明在台灣客家人分佈的區域

   當日手作課程開催兩場次,李安琪講師以投影片簡報方式簡單扼要說明客家人在台灣各地分布及依地形劃分北、中、南、花東地區性不同的飲食文化及台灣南部屬於六堆地區特有的興釀醬醃及日曬保存食物的方法,及南部鄉下特殊的路邊辦桌文化。除了靜態的課程以外,也同時在現場示範教作農業時代南部客家庄婚嫁喜慶常見的宴席料理之一的客家甩(嗲)肉丸,這道質樸的客家手工菜,是南部客家的常民味道代表之一,也是庶民隱藏版的傳統客家味。

李安琪理事現場示範
學員將自己手做的肉丸用台灣傳統紅繩塑膠袋裝好帶回

   昔時的客家辦桌文化帶入村庄的街訪鄰居們一起挽起袖子甩肉丸,大家邊手作邊話家常還附帶了聯繫情感的成分,因為客語中的「丸」字發音與「緣」字相似,所以有象徵「有緣」、「團圓」的意涵,當日親睦會中特別安排這道手作料理也就是為了呼應僑會會員回娘家的團圓美滿的意喻。

象徵「有緣」、「團圓」的客家甩(嗲)肉丸
現場學員們手作的客家甩肉丸半成品

   參與的會員們有的是夫妻或是親子一起報名參與,媽媽帶著孩子一起動手做,台北駐大阪經濟辦事處副參事劉拓及華僑總會高會長、張副會長也一起參與這項手作課程,大家用心地將肉丸甩打成型並排成像花一樣圓滿美麗,蒸熟後再將美味的成品帶回。

   講師還特別準備了屬於台灣市場小攤的食物紅繩裝袋,讓會員們有回台灣的臨場親切感,課程中也讓會員們現場品嚐客家肉丸湯,大家食後感想都覺得很有台灣味道也有屬於客家特殊的油蔥香味,想起了在台灣的阿嬤、外婆或媽媽的味道,也感覺這道料理簡單易學將講師提供的客家甩肉丸食譜帶回家複刻後可以常常出現在家庭餐桌上。

推廣客家料理的美味
現場教學實作 參加學員們認真的甩打肉丸

   客家料理在異國的推廣,能透過這樣的教學機會讓旅居海外的老僑民及下一代的僑青們認識屬於客家的傳統美味及客家文化的意涵,期待未來若有更多機會能夠向更大眾的海外僑民及日本朋友分享客家料理及台灣媽媽的味道。

讓海外華僑民們認識客家文化
李安琪講師現場解說南北客家人不同飲食的文化

2025 漫博日本館超人氣插畫家 × 經典IP 限定販售

   由日本娛樂企業「CABI-NET」主導,致力於與創作者與藝術家共同創造全新價值,透過內容與商品為人們帶來歡笑的 CABI-NET,即將參展 2025 年漫畫博覽會「ICHIBAN JAPAN 日本館」!

   品牌名稱取自「橋=bridge」一詞,呼應品牌理念:「Build bridges, not walls(築橋而非築牆)」,象徵動畫與時尚之間的嶄新橋梁。自2023年創立以來,BRiiiDGE 積極與日本實力派插畫家與動畫師合作,打造融合文化與潮流的原創設計。聯名設計不僅是將角色圖像印於衣服,而是透過多層次與立體的創意,讓服裝成為講述作品世界觀的媒介。期許成為連結人與人、國與國、文化與文化的全球交流平台。

   本次展出攤位中,將販售旗下兩大關係服飾品牌「BRiiiDGE」與「SEVESKIG」推出的超限量聯名T恤,合作對象包含經典日本IP《新世紀福音戰士》、知名插畫家寺田克也與 KEIZO,絕對值得收藏!

『誠實自然』與『真實自然』誠実なる自然と真実なる自然

   【讀者寄搞】李登輝元総統はご生前、他者に贈られた書の多くに「誠実自然」と揮毫された。しかし、私に贈ってくださったのはただ一つ、「真実自然」であった。

   その意図を思索するうちに、そこには深い意味と根拠があることに気づき、その筆致にも重みと深遠な思いが込められていた。「誠実」とは、人間に特有の課題である。ゆえに、仁を崇め、義を重んじ、「人の道」を根本とする儒家の思想においては、誠実は立身処世の準則とされてきた。

   しかし、「誠実」は人によって異なり、時代によっても変わりうるものであり、永遠不変の真理ではない。したがって、大自然の万物には「誠実」という観念そのものが存在しない。

誠実自然
誠実自然

   人と宇宙の自然万物とを等しく見つめ、共に捉えるときこそ、「真実」の意義が際立つ。すなわち、荘子の「『天地與我並生』(天地と我と共に生まれ)、『萬物與我為一』万物と我と一体なり」との天人合一の思想、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」という道家の根本理念がそこにある。

   自然の宇宙万象には、「成・住・壊・空」という生滅変化の循環があり、常に流転し変化し続けている。人の営みにおいても、肉体には「生・老・病・死」があり、精神には「生・住・異・滅」の過程がある。すべては白雲蒼狗のごとく、移ろいゆくものに他ならない。仏教ではこれを「諸行無常」と呼ぶ。

   しかし、この変化し続ける大宇宙において、不可視の奥に、永遠不変の法則性をもった「存在」がある。それは変転するすべての現象の根底にあり、あらゆるものがそこから離れず、秩序と調和の中で生々流転しているのである。この永遠不変の「存在」の真なる姿を、西洋哲学では「Ultimate reality(究極の真実)」と呼び、20世紀の実存主義の代表者であるハイデガーはそれを「存在(Sein)」と名づけた。

   日本の京都学派においては、西田幾多郎が「絶対無の場所」としてそれを説き、仏教では「仏性如来」や「究竟涅槃」、老子はそれを「道」と称した。名は異なれど指すものは同じく、玄奥なる真理の門—形而上の哲学が探求する根源—そこに通じている。これらの玄妙至極なる「真実の相」(すなわち実相)は、形なき形、物なき象とも言えるものである。その共通点は、永遠であり、無名にして、素朴であるということ。

   「大至無外」(大いなるものは外に極まりなく)、「小至無内」(小さきものは内に窮まりない)。目をもって見ようにも見えず、耳をもって聞こうにも聞こえない——それでいて、かすかに在るかのごとく綿々として絶えず、用いれば尽きることがない。

   その存在は言葉で語り尽くすことができず(言語道断)、思考によっても到達し得ない(心行処滅)。まさに老子の言う「『道可道,非恆道』(道の道とすべきは、常の道に非ず)。『名可名,非恆名』(名の名とすべきは、常の名に非ず)」と、響き合う奥深き妙理である。

   宗教家たちは、これを万能の神、あるいは「自ずから生まれ、永遠に存するもの」と称する。変化の理を探求する「易の学」において、諸経の首と称される『周易』は、その第一卦において「天の道」を論じる「乾」を掲げる。

   乾卦の卦辞である「元・亨・利・貞」は、天道の運行法則を語っており、さらに天道を以て人事を明らかにする道を示している。「元・亨」は、万物の創始とその繁栄を意味し、「利・貞」は、果実の結実と収斂、内に納めることを指す。

   これを四季——春は生じ、夏は育ち、秋は収穫し、冬は蓄える——の運行と照応させて、生命の全過程を明晰に説き明かしている。そして『周易』の最後の卦は、「人の道」を象徴する「未済」である。「未済」とは、未だ済まず、つまり未完成を意味する。

   この卦は、人の生の結末において、永遠に定論がなく、完結もなく、棺を蓋いてもなお定められぬものだと告げている。人生の旅路を終えたとしても、それは完成された終わりではなく、未完成の終焉にすぎず、同時に新たなる未完成の始まりでもある。

   それは老子の「『獨立而不改』(独立して改まらず)、『周行而不殆』(周行して殆うからず)」と言うごとく、揺るぎなく循環し、道を逸れることなく続いてゆくのである。禅宗において説かれる「明心見性」「見性成仏」とは、すなわち宇宙と人生の「真実性」を見抜くことである。

   この「真実の相(実相)」を証得した者こそ、仏となることができる。ゆえに『金剛経』には「もし諸相を非相と見るならば、すなわち如来を見る」とある。真の相とは、相にして相にあらず、相無くしてすべての相を含む。すなわち「相而無相、無相而相(相あれども相に非ず、相なくして相を具す)」、これこそ「真空より妙有が生ずる」姿であり、仏法の根本たる原理にほかならない。

   「道」は万物を生じ、すべての法は最終的に「道」へと帰する。「真実」とは虚偽でないことであり、「究竟の真実」とはすなわち「道」である。そして「道は自然に法る」という言葉の「自然」とは、耳が音を得て声となり、目が色に触れて形となるような物質的自然を指すのではない。

   それは「本来そのままである状態」、すなわち、作為なき「自然なる真実の姿」を意味している。「道」が範とするのは、まさにこの「『自然而然』(自ずから然る)」真の在り方なのである。

   ゆえに、儒・仏・道のみならず、日本哲学や西洋哲学においても、人間修養の最高境地は、異なる道を歩みながらも、みなこの「真実自然」へと至る。修行がこの域に達すれば、「心に罣礙(けいげ)無く、罣礙無きがゆえに、恐怖無く」、ついには「顛倒夢想を遠離する」円満なる境地へと到達することができるのである。

   老子の理論を精読し、京都学派・西田幾多郎の哲学に師事した李登輝元総統は、まさにパウロの言葉——「今や生きているのは、もはや我にあらず、キリストが我の内に生きているのである」——を体現したかのようである。

   敬虔なキリスト者であった李元総統が、私に贈ってくださった墨宝「『我不是我的我』(我は我にあらざる我)(I am not the I that I am)」と「真実自然」は、まるでこう語っているようである——「今、生きているのは、もはや私ではなく、キリストが私の内に生きており、民の願いが常に私の心の中心にある」。

   この「『我是不是我的我』(我にあらざる我)」は、密教における「入我」(仏が我が心に入り、仏と一体となる)または「我入」(我が仏の中に入り、仏と一つになる)の思想にも通じる。

我是不是我的我
我是不是我的我

   ゆえに李元総統は、老子の「一を執りて以て天下の牧となす」の理念を体得し、「『反者道之動』(反は道の動なり)、『弱者道之用』(弱は道の用なり)」という原則を根幹に据え、「『知雄守雌』(雄を知りて雌を守り)、『知白守黑』(白を知りて黒を守り)、『知榮守辱』(栄を知りて辱を守る)」という逆説の知恵を用いた。

   まずは自我の執着を空じ(空我執)、さらに法への執着すらも空じ(空法執)、己を赤子に等しい無垢の心へと還元し、樸(すなお)に帰り、無極の境地へと回帰する。心の本性を清め、「真空」なる状態、または西田哲学が説いた「絶対無の場所」へと至らしめた。

   その結果、たとえ逆境の中にあっても、万物を包容し、万民を統べることができた。それは「『真空生妙有』(真空より妙有が生ずる)」という般若の大智慧によるものであり、「『無為無不為』(無為にして為さざる無し)」という雷霆のごとき力をもって現れるものであった。

   彼はこの「真実自然」——天と人とが一体となる戦略的高み——に立脚して、政界を自由自在に駆け巡り、落ち着きと霊妙なる感応をもって、時代の潮流を掌中に収め、風雲を巻き起こしたのである。李登輝先生は総統に就任された後、泰然自若として段階を踏みつつ、数千年にわたり「醤缸文化」の濁流に沈んでいた「法統(正統な法の伝承)」を拾い上げ、濁を排し清を揚げ、「『脱古改新』古を脱ぎて新に改む」姿勢をもって、台湾をまるで脱皮したかのように、血を流さぬ「静かな革命」を完成させた。

真実自然
真実自然

   数千年の歴史を有する華人世界において、自由と民主を兼ね備えた「王道の楽土」を切り拓いたという意味では、史上未曾有の偉業である。しかし、深く根を張った既得権益層はこれを恨み、さらに「醤缸文化」の余臭が今なお残り、その遺霊は未だ消えずにさまよう。そのため、李元総統の輝かしい功績は、光芒万丈でありながらも、皮肉にも、その最大の恩恵を受けたはず李元総統の祖国・台湾において、微かな塵埃を浮かべているかのようである。

   イエスはこう言った——「預言者が尊ばれぬのは、ただその故郷とその家においてである」。老子もまた、粗末な衣の下に宝玉を抱く聖人が、しばしば知音を得難く、「ただ知ること無きがゆえに、我を知らざるなり」と嘆いた。その思いは「我を知る者は稀なり、ゆえに我を貴しとす」(老子の言葉)という感慨に通じる。

   私にとって幸運であったのは、この「Philosopher King(哲人王)」たる李登輝元総統より、格別のご高覧を賜り、筆の重みと深き思いを込めた玄妙なる金言を、自らの手で贈ってくださったことである。その中に秘められた般若の大智恵は、まさに私の生涯の指針であり、家宝として代々伝え、決して忘れることのないものである。

   『聖書』にはこう記されている。モーセがユダヤの民を率いてエジプトを脱出したとき、神が顕現し、モーセが「あなたは誰ですか」と問うた。神は答えた——「我は我なり(I am who I am)」。これは、「私は自ら生じ、始めより常に存在している永遠の存在である」という意味である。

   この「自生者」とは、西洋哲学者デカルト(R. Descartes)が唱えた「自因」——すなわち「自らの存在の原因は自らにあるもの」——にほかならない。「自因」は神または永遠の存在の第一条件であり、それ以外のすべては「他因」に属する。「自因」はただ一つしか存在せず、キリスト教世界ではそれを「神」と呼び、老子においてはそれが「道」であり、「自然」なのである。

2025年7月4日
太田一博 寄稿